VIVA LA ROCK 2021

 VIVA LA ROCK 2021、2日目。個人的にもスタジアムクラスの会場で長時間のライヴを観ること自体が久しぶりだったということもあり、生の音楽に触れられる喜びにワクワクとしながらも、コロナ禍以前のライヴへの参加のスタイルとはまったく異なる状況の中で、ルールを遵守しながら果たして楽しめるのだろうか、という不安を持ちながら会場入りした。しかしながら、実際にこうして2日目の全アクトを観終えた今は、そんな心配は全くの杞憂だったとわかる。むしろ制限のある状況だからこそ生まれる、オーディエンスと生の音楽が織りなす、奇跡のような瞬間を何度も目撃することができ、感無量であったことをまず最初に記しておきたい。

 2日目のVIVA LA ROCKの開催を寿ぐように、ULTRA STAGEから号砲を響かせたのはSaucy Dogだ。”シーグラス”で幕を開けた彼らのステージ、石原慎也、秋澤和貴、せとゆいかが紡ぎだす、3人の人柄そのままのようなしなやかであたたかなグルーヴが会場をゆっくりと温めていく。続いて披露したのは”BLUE”。力強く会場に響いた<運命なんか知らない/僕らで作ればいいや>というリリックの一節に心動かされた。ラストの“sugar”が優しく切なく鳴り響く頃には、そこに集った様々な人々と演者の魂が音楽を媒介にして通じ合う、ロック・フェスの理想的な光景が体現されていた。

 始まる前から熱気に満ち満ちていたCAVE STAGEの一番手は、WOMCADOLE。グラマラスでスタイリッシュなロックンロールの一番セクシーな部分が凝縮された妖しい魅力を携えながら、4人の演奏が途方もないエネルギーを初っ端から全力で放出していく。昨年、マツムラユウスケが加入し、4人体制となった彼ら。“ヒカリナキセカイ”などで見られた、これでもかとパッションを放ち、テクニカルなギターソロを存分に披露するマツムラのプレイが、4人の演奏をさらに鋭利でエモーショナルなものへと導いているように感じた。

 2019年のVIVA LA ROCK出場時にはCAVE STAGEのトリを務めたFOMAREは、今年はGREAT STAGEのトップバッターとして登場。「目を閉じれば2年前のCAVE STAGEを思い出します」と、感慨深げにアマダシンスケが呟く。昨年にはメジャーデビューも果たしたが、何より楽曲のスケール感もそれを表現する演奏力も、前回出演したときよりも明確に進化していて、完全にGREAT STAGEをモノにしていた。白眉は、昨年7月にコロナ禍の最中にリリースされた“愛する人”。<当たり前だった毎日がただ恋しいだけなんだ>ーー血の匂いがするように切実な、本当に心からの「祈り」を込めたと伝わる音と歌が、さいたまアリーナいっぱいに響いていった。

 「今のBIGMAMAが一番カッコいい!」と、思わず叫びだしたくなるほど(しかし今年は叫んじゃダメ、絶対。そして実際、1日を通して本当に観客は歓声を上げなかった)、ストイックでエレガントな素晴らしいライヴでULTRA STAGEを魅了したBIGMAMA。サポートドラマーにビスたんことBucket Banquet Bisを迎え、これまでになくソリッドで有機的なバンド・アンサンブルを構築した真新しい彼らのライヴは“No.9”でスタート。この曲も今という時代に歌われると、まったく異なる意味を持って響く。5月5日にリリースされるEPから新曲も2曲披露され、閉塞した今の時代の空気感を敏感に捉えながらもポジティヴィティをもって未来を指し示す、今のBIGMAMAの充実したモードが表れていた。

 3月にリリースされたアルバム『純愛クローゼット』からの1曲“あたしが死んでも”でスタートしたCAVE STAGEにおけるコレサワのライヴ。普段は姿をみせずに活動をしている彼女。歌が巧みなシンガーに対する褒め言葉として「口から音源」というものがあるが、コレサワの場合は「口から音源」どころの騒ぎではなく、ヴォーカルはもちろんのこと、真っ赤な衣装を身にまとって登場した本人の姿やそのキャラクターまでも、どこまでも「コレサワ」としか言いようのないプレゼンスで度肝を抜かれた。しかもそれがバンドを背負って生の音としてステージの上で鳴らされると、コレサワの楽曲の持つラディカルさと、恋愛の機微をミクロからマクロまで精査し尽くしたリリックの凄まじさが際立っていた。

 一音目から完全に、GREAT STAGEのオーディエンスを楽曲の世界へと引き込み、導き、耽溺させたindigo la Endは、「完璧」としか形容しようのないステージだった。“夜汽車は走る”や“想いきり”のようなエモーションが疾走する楽曲における、コーラスやキーボードも加わった重層的なバンド・アンサンブルにも聴き惚れたが、彼らのファンキーでダンサブルな音楽的志向が顕になった“夜風とハヤブサ”や“夏夜のマジック”などの楽曲における「夜」のグルーヴが、とにかく気持ちよかった。ロマンティックで、叙情的で、それでいてどこまでも純音楽的な……ポップミュージックの深淵をつまびらかにし、その無限の可能性をどこまでも追求していくステージに酔いしれた。

 4月28日にリリースされた新曲“名悪役”からスタートしたULTRA STAGEの三番手、フレデリック。「何か言葉を届けようと思ったんだけど、この光景をみたら、純粋にフレデリックの音楽を届けたいなって思いました」と語った、三原健司。そう、この日のフレデリックのステージでは、彼らの音楽こそが何よりも雄弁だった。フレデリックの持つパンキッシュでエモーショナルなサイドが顕になる、新曲の“Wake Me Up”から“リリリピート”、そして最後の1曲“オドループ”へ。<踊ってない夜を知らない/踊ってない夜が気に入らないよ>という言葉は、かつて風営法の取り締まりが激化した際に大切な場所を守るための決意として歌われた歌詞だが、この日はいつかまた自由に踊り明かせる日常を迎えるために今を生きる、そんな願いと祈りの曲として鳴り響いていた。

 前日の夜に突如、アコースティック音源集『包装』をリリースした小林私は、CAVE STAGEにギターを1本携え、ふらりと現れた。「鬼っ子」という言葉がふと頭の中をよぎるほど、その立ち振舞は自由奔放。MCではロック・フェスやその参加者を冗談めかしてくさしたりもしてみせるが(照れ隠しのように筆者には見えた)、彼の楽曲の放つみずみずしさと鮮烈なパフォーマンスは「天才」と呼ぶに相応しいもの。新世代のシンガーソングライターとして時代を牽引する未来が見えた気がした。フォークロックからメロウなバラードまで、ギター1本をかき鳴らし爪弾き「唄」を立ち上げていく、小林私の姿に心奪われた。

 この日がソロとしてフェスに立つ初めてのライヴとなった、アイナ・ジ・エンド。おそらくは緊張もあっただろうにもかかわらず、GREAT STAGEに現れた彼女のパフォーマンスは破格の才能を感じさせるものだった。ふたりのダンサーを従え、“サボテンガール”でキュートなヴォーグ風のコリオグラフィーを踊っているときも、“彼と私の本棚”で舞台中央に据えられたソファーにしどけなくもたれながら歌うときも、彼女は歌声から全身の所作にいたるまで全てを見事に自らプロデュースし、コントロールしていた。ライヴ後半では「VIVA LA ROCKに参加しなかったら生まれなかった曲かもしれない」と以前、VIVA LA J-ROCK ANTHEMSに自身が参加した際に、アンセムズのホストバンドの一員でもあった赤い公園の津野米咲から受けたアドバイスを思いながら作り上げ、亀田誠治が編曲を担当した“きえないで”を披露。聴く人の心を温める、アイナ・ジ・エンドのささくれた優しい歌声は会場にいたオーディエンスはもちろんのこと、届くべき人にしっかりと届いた、そんな気がした。

 まさか、1曲目を“HE IS MINE”で始めるとは。そして、以前だったらオーディエンスみんなで叫んだお決まりのあのフレーズを、VIVA LA ROCKを開催するために尽力したスタッフたちに「無音」で捧げるとは——ULTRA STAGEの4番手に登場したクリープハイプのステージは、初っ端から最後まで気迫のこもった、まさしくエモーショナルで特別なものだった。過去にあったビバラプロデューサー・鹿野との「仲違い」からの「仲直り」エピソードを紹介した上で、尾崎世界観が「ちょっとずつ恩返しをしていきたいです。何かがあったら、クリープハイプも一緒に散ります。最後にそういう気持ちを込めておくります」と熱い一言を述べた上で演奏された最後の“栞”は、特に印象的だった。歌にも音にも確かなる意志と願いを託し放っていくような、熱量の高い全力のライヴだった。

 CAVE STAGEに登場したニガミ17才は、今回のライヴがドラマー小銭喜剛が4月14日に脱退後、新体制で臨む初めてのライヴだった。さらにいえばライヴ自体も昨年行われた『ビバラ!オンライン2020』以来だったということなのだが、そんな事情は全く感じさせないパフォーマンス。小さなスツールの上にメンバー全員が飛び乗り、踊りながら楽曲“A”を披露するという初っ端から、このフェスで彼らを初めて観るという人には度肝を抜く構成だったのではないか。インディペンデントで自由な活動を行うニガミらしい、他では聴くことのできない、オリジナリティとクリエイティヴィティに溢れたライヴはさらなる大きなステージを予感させるものだった。

 VIVA LA ROCK、2日目後半戦。久しぶりの音楽漬けの1日を送るオーディエンスたちをさらに鼓舞するように、GREAT STAGEから今、ぼくらが必要としている真っ正直な音と言葉を届けてくれたのはMy Hair is Badだ。ライヴ中盤、“戦争を知らない大人たち”をプレイした後に披露された即興の弾き語りパートが圧巻だった。「大好きなものを思い浮かべてみて」ーー椎木知仁がメロディを放り出し、けれど確かにロックバンドのグルーヴに乗って心からの言葉を次々と吐き出したとき、静寂のオーディエンスたちが実際に声は出さずとも魂で叫んでいる、その声が聴こえた気がした。大好きなものを守るために自分達ができること、邦楽ロックバンドとしての誇り、そして今を生きることへの想いを、VIVA LA ROCKのステージで見せつけたMy Hair is Bad。“味方”の<君がいれば 僕は負けない>という一節が、彼らのステージが終わったあともずっと耳に残って離れなかった。

 ULTRA STAGE、2日目のトリを務めるのはUNISON SQUARE GARDENだ。まずセッションで会場の空気をあたためたあと、そのまま1曲目の“天国と地獄”へ突入、そしてその勢いのまま早くもキラーチューン“シュガーソングとビターステップ”をドロップし、盛り上がりは2曲目にしてすでに最高潮へ。UNISON SQUARE GARDENはコロナ禍の中でも様々な形で歩みを止めることなく活動してきたが、この日のライヴでも、音楽の持つポジティヴな力を信じる彼らのアティチュードを目撃することができた。後半戦、ホーンとピアノのサウンドが印象的な、祝祭感たっぷりのナンバー“君の瞳に恋してない”でULTRA STAGEを更に盛り上げた後、最後に披露されたのは“春が来てぼくら”。新たな春の訪れを希求する、この楽曲が鳴り響く風景に背中を押された気がした。

 CAVE STAGEのラストに登場したのはネクライトーキー。登場からして元気いっぱいの様子。彼らのライヴはオーディエンスを楽曲に巻き込みながら場を作っていくのが持ち味だが、直接的なコール&レスポンスができない状況下の中でも音楽と身体全身を使って、熱量の高いコミュニケーションをとっていく。ネクライトーキーのシグネチャーである、おもちゃ箱をひっくり返したような情報量の多い楽曲と、ポジティヴなエネルギーに溢れたサウンドは更に進化し、かつ、CAVE STAGEのトリを堂々たる様子で務めることができるフィジカルとエモーションを兼ね備えた強力なバンドへと変貌した姿を目撃することができた。来年以降はさらに大きなステージを務められるようになっているかもしれない。それぐらいのポテンシャルを感じさせた。

 長くて、それでいて最高に幸せだった1日もいよいよおしまい。2日目の大トリとして、GREAT STAGEに現れたのはSUPER BEAVERだ。様々な道のりを経て今回トリを務めることになった事実を嬉しそうにオーディエンスと共有する、渋谷龍太。1曲目は“正攻法”。いたずらに性急に突っ走るのではなくあくまでも自分たちのペースを保ちながら、一音一音、一語一語、しっかりと噛み締め伝えるよう歌い鳴らし、この晴れ舞台を掌握していく。2曲目の”閃光”では、オーディエンスが声を出せないことを逆に利用して<あっという間に終わってしまうよ>の歌い終わりに完璧な静寂を作り上げ、鳥肌が立った。全く音がないのに、いや、ないからこそ、その歌の意味が際立つ感覚。
 SUPER BEAVERの最大の美点は、至極まっとうで、時にきれいごとにも聞こえるような正直な言葉を、真摯に真心を込めてロックンロールに乗せていく、そのアティチュードにある。MCで渋谷は音楽が不必要なものと言われたことへの悔しさを吐露してもいたが、それでも彼らは腐ることなく、斜に構えることなく、今ここに生きるそれぞれを祝福し、互いに互いを認め合う。“人として”を披露する前にSUPER BEAVERが贈ってくれた愚直な言葉の数々は、今のぼくらが必要なものだった。何が正解かわからない、もしかすると後ろ指を刺されるかもしれない、それでも僕らは自分達の大切なものを失わないために、守るべきルールをしっかりと守りながら音楽と共にある日常を生きるーーそんな決意が確かに伝わってくる。その上での全力の“アイラヴユー”からの、ラストに奏でられたのは“さよなら絶望”。すべてを受け止め帰路につく、そのオーディエンスの笑顔は実に胸に迫るものだった。

テキスト=小田部仁
撮影=小杉歩

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