VIVA LA ROCK 2021

 試されている――音楽やライヴハウスから何を学び、感じてきたのか。昨年から多くのアーティストや音楽関係者がコロナ対策をしながらの新たなライヴの形、フェスの形を模索・構築してきた。もちろん、第一に自分たちのためだけど、それと同じぐらい音楽業界、そして音楽自体の未来を思って動いてきた。
 コロナ禍に突入して1年以上が経ち、ようやくここまできた。ビバラ4日目である。まだまだ楽観的になんてなれないけれど、1年前の今日、「来年のビバラは5日間開催だよ」なんて話を聞いていたらどんなに気持ちがラクになっただろうか。こうして1歩1歩慎重にことを運んでいけば、来年はもっといい光景が見られるはず。今年のビバラはその証明をするために、音楽というカルチャーを少しでも前進させるために開催されていると思っている……こんなフェスレポートの書き出しはつまんないことは百も承知。でも今だからこそ、2021年の今だからこそ書かなきゃいけないことだとも思う。

 さて、4日目のさいたま周辺は見事な快晴。予想最高気温は26度。今年のビバラはライター陣もこれまでとは異なる形でレポートに臨むことになっていて、1日に出演する全アクトを観なければならない。しかし、全曲フォローすることはタイムテーブル的に不可能。時間の割り振りが肝となってくる。20時の終演まで常に時間との闘いを繰り広げた。

 これまでのビバラと違い、今年はメインステージとなるULTRA STAGEとGREAT STAGEがスタジアムモードのアリーナ内に横並びに設けられている。観客はひと席ずつ空いた座席や、事前抽選による立ち位置指定されたスタンディングエリアでおとなしく1日のスタートを待っている。異様な光景ではあるが、不思議と温かい雰囲気が流れている。

 1日の行方を占うファーストアクトはULTRA STAGEのROTTENGRAFFTYが務めた。盛大な拍手に出迎えられた6人は、“ハレルヤ”でやりにくさなど微塵も感じさせないロケットスタートを切る。今年はモッシュ、ダイブも全面禁止だが、本来であればモッシュ必至な打ち込み色の濃いデジタルハードコア・ナンバー“永遠と影”を容赦なくぶちかますなど、「コロナ禍クソくらえ」なセットリストはファンとビバラに対する信頼の表れ。いつもは油断しているとぶっ殺されそうな殺気を放っている(と個人的には思ってる)ロットンだが、今日一番感じ取った思いはユニティだった。”THIS WORLD”で首がもげそうなヘドバンをかましているフロアを後にし、CAVE STAGEへと移動した。いいじゃん、ビバラ。やれるじゃん、ビバラ。

 CAVE STAGEの作りはいつもと変わらないが、もちろんディスタンスを取った形での立ち位置指定はされている。そのためにキャパ300人以下という少人数のみ観覧ができるという狭き門に。ステージエリア外にパブリック・ビューイングのスペースも設けられているとはいえ、どこのステージを選ぶかというのはフェスでの悩みごとのひとつだが、今年のビバラはそれに拍車をかけた。

 CAVEのトップバッターは名古屋出身の3ピースバンドMaki。“春と修羅”の演奏後、「VIVA LA ROCK、はじめまして!」と挨拶。そう、これがビバラ初出演だ。彼らの登場を待ちわびていたファンは最後方から観ていてもわかるぐらい歓喜の大ジャンプを繰り返していた。ときおりパンキッシュな2ビートを織り交ぜたリズムチェンジやブレイクでメリハリをつけながら、ギター、ベース、ドラムががっちりと噛み合った演奏でしっかりと聴かせる。初出演とはいえ、「VIVA LA ROCKに力を貸しに来ました」という言葉が心強かった。“平凡の愛し方”は熱のこもったギターソロが熱い上に、サビのリフレインが耳にこびりついてなかなかその場から離れられない。そのせいでステージ移動が遅くなってしまった。彼らの熱が人を釘付けにさせるのだ。

 フレッシュな荒削りさが魅力の若手バンドのライヴからGREAT STAGEへ向かうと、コンコースからでもわかるぐらいタイトな演奏が聞こえてくる。ACIDMANがオープニングナンバー“to live”をかっ飛ばしているところだった。大木伸夫の吐き捨てるような歌とギターリフが異様にカッコいい。<忘却この平和な世界で 生きる喜び忘れた我ら>という歌詞が刺さる。ちなみにこれ、2000年の曲。“世界が終わる夜”はスマホライトが揺れる中でプレイされ、大木はこれを「フェスの醍醐味」と言ったが、大勢の人間がひとつのステージに向かって思いを投げかける行為の尊さを強く感じた。この場にいない人からすると「何を大げさな」てなもんだろう。でも、現場にいると全然違うんだ。たった35分だったが、3人の思いやストーリーが存分に感じられるパフォーマンスだった。

 ULTRA STAGEではリハから本意気の歌唱を聴かせる大森靖子に対して、スタンディングエリアのファンはピンクのペンライトで迎え撃つ。5人のバンドメンバーを引き連れた大森は真っ白な衣装で身を包み、“JUSTadICE”をポップかつ切実に歌い上げる。ときに舞い、ときに暴れるような彼女のパフォーマンスは今でも予測不能でスリリング。足を蹴り上げ、床に倒れ込み、衣装を振り回す。厚底ブールで床を蹴りながら、「ミュージック足りない! ステージ足りない!」と即興のポエトリーリーディング調に叫んだ“CO LO s NA”で場内をヒリつかせたあとに、4つ打ちどポップな“絶対彼女”へと落差たっぷりにつなぐなど、唯一無二の存在感でロックファンを巻き込んだ。<自殺なんてないのさ 誰が君を殺した>というギター弾き語りからバンドインする新曲“Rude”は震えた。

 CAVEへ移動していると長蛇の列が目に入った(もちろん列に並ぶ参加者もそれぞれ距離を取っている)。これはCAVE入場のための待機列。コロナ禍の逆風をものともせずにグイグイと人気を高めているTETORAのビバラ初出演を目撃したい人たちが大量にいるのである。場内の雰囲気からも期待値の高さがうかがえる。“覚悟のありか”、“もう立派な大人”、“嘘ばっかり”と挨拶代わりの3曲を一気に畳み掛けたわけだが、演奏が分厚くて、ビートは前のめりなのに驚くほどどっしりしている。外タレ的な骨太感がある。そして、ちょっとハスキーで存在感のある上野羽有音のヴォーカルも魅力的。「目の前にいる人に用があってライヴしにきました」というMCでもしっかりと文節を区切りながら語りかけてくる。なんだこの落ち着きは。ああ、もっと観ていたい。観ていたいんだけども、次のスカパラも見逃せないんだ……。今日、最もタイムテーブルを恨んだ瞬間だ。

 TETORAの重めなビートを引きずった耳を切り替えたのはスカパラの面々。今年のスカパラはスペシャルゲスト大会。“めくれたオレンジ”では田島貴男、“閃光”ではTAKUMA(10-FEET)、“追憶のライラック”では大木伸夫(ACIDMAN)、“Diamond In Your Heart”では細美武士(the HIATUS / MONOEYES / ELLEGARDEN)を迎え入れ、にぎやかなパーティを繰り広げた。スカパラは自由の象徴のような音を30年以上も鳴らし続けているが、今日は不自由さの中にだって自由があることを実感させてくれた。制限があるからコレができないアレができないではなく、じゃあ、その中で何ができるのかと前向きに、ピュアに探っていく姿勢がカッコいい。スカパラに限らず、ミュージシャンたちの本質がむき出しになっていく今の状況もこれはこれで発見があって楽しい。

 ファンクでブルージーでソウルフルなパフォーマンスを見せつけたのはORIGINAL LOVEだ。オープニングの“The Rover”から腰にくるビートで惹きつける。興奮気味の田島貴男はMCで「みなさん、もっと来て!」と観客に投げかけたが、このグルーヴはどこで喰らったって、立っていたって座っていたって等しく脳と腰が揺れる。真城めぐみのコーラスを含めたバンドの演奏も素晴らしく、まったくスキがない。特に、“Two Vibrations”で聴かせたバンドアンサンブルは4日目のベストモーメントのひとつに入るぐらいの素晴らしさ。今なお愛される名曲“接吻”では、田島の美声に引っ張られるように観客の手が左右に振られ、後方で座っている観客の肩も揺れていた。彼らのビートに引きずられ、あやうくCAVE STAGEのKUZIRAのライブに遅れるところだった。

 さっきのTETORAもすごかったけど、KUZIRAの待機列もすごい。PIZZA OF DEATHのニューカマーで今月ニューアルバムをリリースする彼らの注目度も非常に高い。1曲目“Backward”からグワッと熱気が高まるのを感じた。末武竜之介がハイトーンヴォイスで叫ぶ「VIVA LA ROCK!」が鼓膜をビンビンに刺激する。このバンドはとにかく上手い。今年加入したばかりのシャー:Dのドラムも恐ろしく正確な上にめちゃくちゃに速い。「ライヴハウスでの遊び方が変わっても俺たちのライヴは変わらないから!」という宣言のあとにプレイしたのはニューアルバムから“Spin”。これはKen Yokoyamaの名曲“Let The Beat Carry On”に触発されて生まれたミドルナンバー。「俺たちがビートをつないでいくんだ!」という言葉にグッときた。従来のメロディックパンクの型をぶち壊していく3人のスタイルは実に痛快。今後、間違いなくシーンを背負っていくことになるだろう。

 GREAT STAGEに戻り、ビバラ名物「日本の名アンセム、カバー祭り」VIVA LA J-ROCK ANTHEMS。照明がほとんど落ちている中でバンマス&ベース・亀田誠治、ギター・加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)、ドラム・ピエール中野(凛として時雨)、キーボード・伊澤一葉というバンドメンバーが板付き、ピンスポットで照らされる先にはピアノの前に佇む藤井風。そして、歌うは“LA・LA・LA LOVE SONG”。フロアはいきなり総立ちである。原曲のイメージを大事にしながらも、個性溢れ出すヴォーカルは目をつむっていてもわかる。最高のオープニングだ。なお原曲はご存知、久保田利伸 with ナオミ・キャンベルだが、そのナオミ・キャンベル・パートを真城めぐみが担ったのも最高。「この1年、いろんなことがあったけど、こうやって音楽ができるって本当に幸せ」というバンマス亀田誠治のMCに続く2曲目は、石原慎也(Saucy Dog)による、SUPER BUTTER DOGの“サヨナラCOLOR”。ハイトーンでどこまでも伸びていく気持ちのよい歌声で新しい解釈を加えた。
 椎名林檎の“丸の内サディスティック”をクリーンで歌い上げたのは、なんとMAH(SiM)。貴重なものを見た。こういう、他では絶対に聴けないであろう選曲&歌い手の組み合わせもこの企画の醍醐味だ。“いすゞのトラック”を歌いながら登場したナヲ(マキシマム ザ ホルモン)が禰豆子のコスプレで”紅蓮華”を歌い上げ、最後はアイナ・ジ・エンドによる赤い公園の“Canvas”。ただ歌うだけでなく、全身を使った表現で楽曲へのリスペクトを示すパフォーマンスだけでも胸にくるものがあったのだが、1サビ終わりからスクリーンにアンセムズ・メンバーでもある津野米咲がこれまでのビバラで見せてきた笑顔の数々が映し出されてからはもう涙なしでは見られなくなっていた。バンドは多くを語らなかったが、パフォーマンスだけでも十分に想いは伝わった。

 続くはULTRA STAGEでのDragon Ashのライヴ。サウンドチェックに登場したKjは頭を振ったり、飛び跳ねたり、笑顔を浮かべたり、演奏する前からステージに立つ喜びに溢れている。美しく奏でた1曲目“Stardust”で掲げられる無数の手を見て、Kjは再び笑顔するのだった。そのまま“Mix It Up”で演奏のギアを上げ、気づけばやたらと体が熱い。いくら行動を制限していても、体の奥底から湧き上がる高揚感というのはこれほどまでに人を熱くさせる。しかし音はハードでも、ステージから放出されているのは熱気というよりもこの場を共有しようとする温かさ。扇情的な楽曲が少なめだったのは、暴れたくても暴れられないフロアを考慮してのことだったのかもしれない。「ライヴハウスでできる日まで音楽を続けましょう」という最後の言葉は、我々にも、自分たちにも向けられているような気がした。

 CAVE STAGEに立ったLOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERSは、コロナ禍においてしっかりと感染症対策をしながらライブ活動を積極的に続けたアーティストのひとり。今やれる道をポジティブに探り続けていた彼の姿勢はとても心強かった。「心の中でー? 心の中でー? あ、ば、れ、ろー!」という煽り文句もこなれている。困難な状況で発揮されるのが真の実力なんてことを言うけれど、その言葉はこの場にこそふさわしい。“Little Giant”にはじまり代表曲のオンパレードで、演奏も落ち着いたもの。余裕すら感じるのは彼がこれまでに踏んできた場数がものを言っている。それでいてフロアを置いてけぼりにはしない。「10-FEETのTシャツ着てるけど時間大丈夫?」と客いじりをするんだから笑うしかない。なお5曲目の“Delusions of Grandeur”には細美武士が飛び入り参加。

 観客も慣れたもので、この状況でのフェスの楽しみ方を体に染み込ませつつあるように見えた。GREAT STAGEに立った10-FEETの“goes on”演奏中にぐるりと後方エリアを見渡すと、自席で飛び跳ね、手を掲げているが、大声は出していない。そんな観客の様子が伝わっているのか、TAKUMAは「いつものあれやろうか!」と全員をいったん座らせ、カウントとともに跳び上がらせたり、“RIVER”では「エアー・ハイタッチ」も先導。信頼関係のなせる技としか言いようがない。これは昨年10月からツアーを行っていることと無関係ではないはず。
 さらに、パフォーマンスもコロナ禍以前と比べても遜色ない。何より強いのは、今の3人には”アオ”や“シエラのように”といった、コロナ禍に生まれた新曲があること。ようやくライヴで聴くことができたこの2曲は期待に十分応えるものだった。MCでは「世界中のコロナウィルス、俺が一人で吸うわ」「Dragon Ashとかグッズでワクチン出さへんかな」と笑わせる一方で、「メンタルやられんなよ。市民プールでこっそりするおしっこみたいに(ストレスを)散らせよ」とジョーク交じりに気にかけた。「今日が最後だと思って歌う!」と何度も叫んでいたのが印象的だった。

 ULTRAのトリを飾ったのはド派手なドラムソロから始まったUVERworld。スクリーンにはリアルタイムのライヴ映像に合わせ、凝った映像演出で歌詞が流れるスタイル。驚いたのは続く“IMPACT”。ファンがアプリに送ったという歓声をまとめ、曲中で使用したのである。これは単独ライヴでは増えている手法だが、フェスでやるとは驚きだ。それが録音だろうがなんだろうが、大勢の声というのは本当に心強いもの。それがファンのものであるならなおさらだ。バンドがどれだけこの1本に懸けているのかが伝わってくるし、素晴らしい姿勢だ。観客のノリも明らかに変わった。「思いつくものは全部やる」というTAKUYA∞の言葉通り、これでもかというぐらい<全部やって確かめりゃいいだろう>と突きつけてくる“PRAYING RUN”は、鉄壁のアンサンブルを伴うことでその言葉に信じられないぐらいの説得力が生まれている。これはとんでもなく不自由な今、特別な意味を持つようになった曲だと思う。
 バンドには演奏力がもちろん必要だけど、ビバラ4日目が終わりに近づくに連れて胸に湧き上がってくるのは、「結局、一番大事なのって気持ちの強さなんじゃないの?」ということ。「この曲にすべてを込めたと言っても過言ではない」とTAKUYA∞が胸を張った新曲”EN”は本当に名曲。メモを取る時間さえ惜しくて、ずっとステージと歌詞を見つめていた。コロナ禍がUVERworldに新たな名パワーバラードを作らせた。

 2019年にGARDEN STAGEで初お披露目を果たしたマキシマム ザ ホルモン2号店が今年はCAVE STAGEのトリに抜擢。ちびっこもたくさん集まり、パブリック・ビューイングエリアすら観ることのできない観客がたくさんいるくらいの盛況ぶり、つまりは大きな期待を背負った状態でのパフォーマンスとなったが、気負いはまったく感じられない。複雑な楽曲構成に振り回されそうでいながら、ギリギリのところで踏ん張っているスリリングさが楽しいバンドだ。“シミ”でフロア全体がソーシャル・ディスタンスなヘドバンで波打っている異常な光景を横目に見ながら、MONOEYESへと急いだ。

 この日のトリを務めるMONOEYESのGREAT STAGEは、“Run Run”で幕を開け、“Fall Out”、“Roxette”と続く。ここで鳴らされたのはいつもと変わらぬMONOEYESサウンドだった。何があろうと揺るがない、自分たちが鳴らすべき音がそこにある。そして、それは観ている側に大きな安心を与えてくれた。「いろんな立場の人がいるから何が正しいかはわからないけど」と前置きした上で「感謝しています」と告げたあと、“Two Little Fishes”をプレイ。その音はソリッドでありながら優しく、この場に集まった人々の心にそっと寄り添うようだった。激しい面ばかりが強調されがちなパンクロックだけど、団結心もパンクとは切り離せない。愛する者を守るために闘うのである。今日のMONOEYESのライヴからは仲間を思う気持ちが溢れていた。ステージに立てる喜びももちろんあっただろう。しかし、弦を爪弾く指に、スネアを叩く腕に、喉から絞り出す声に、優しさがあった。「本当に楽しい」「部活の後輩どもの前で演奏してる気分」という細美武史のMCはその延長にある気持ちだったのではないか。今回、MONOEYESはあらゆるライヴ配信にOKを出さなかったという。この場にいなければ「バンド側のこだわりなんだな」のひと言で済ませていたかもしれない。だけど、彼らと空気を共有している今はなんとなくその気持ちがわかる。言葉にするのは無粋な気がするから敢えて書かないが、それぐらい気持ちのやり取りができていたと思う。声が上げられないのに、飛び跳ねて拍手することしかできないのに、こんなに通じ合ったと思えるライヴってなかなかないぞ。音楽ってなんだろう。ライヴってなんだろう。心が通じ合うってどういうことなんだろう。そのヒントは今日1日至るところに転がっていた。それがMONOEYESのライブでひとつの塊になったような気がする。

 今日のライヴはどれも美しかった。表現の違いはあれど、どれも胸に響いた。きっと、音楽やライヴと真摯に向き合う姿に感動したんだと思う。それは観客も同じで、全力でステージに集中して、脇目も振らず、体いっぱいに音を浴びようとしていた。それが今日のような空間を生み出した。今日感じたことを周りの人にも話していきたい。我々音楽ファンが伝えるのはウィルスではなく、希望なんだ。

テキスト=阿刀“DA”大志
撮影=小杉歩

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