それぞれの在り方、光り方で
CAVE STAGEを彩った
7組の春愁の虹
3日目となるVIVA LA ROCK 2022。CAVE STAGEを彩ったのは初登場の新進気鋭バンドから久しぶりに出演を果たしたアーティストまで全7組。バンドがそうであるように、日々を生きる僕たちがそうであるように、何もなかったことにせず、あの頃に戻るのではなく、フェスがフェスとして新しい可能性を提示した上で思いっきり音楽を楽しむ工夫と仕掛けがこれでもかと施されているのが今年のVIVA LA ROCKだと思うのだが、自分自身の光りかたで自分自身の音楽を発信するアーティストがCAVE STAGEに集結していた。
CAVE STAGEのトップを飾ったのはNEE。いきなりこんなこと言うのもなんだけど、この数年を例えるならばずっと夜みたいな日が続いていて、じゃあ夜が明けるのをじっと待っているかっていったら、ロックは、VIVA LA ROCKは、NEEは、違う。夜が明けるんじゃなく、夜を明ける。似たようで違うこの助詞が実は凄く大きくて、後ろ向きの世界の首根っこ掴まえて前を向かせるパワーがNEEのライブには溢れているのだ。“不革命前夜”だなんて言っているけれど何かが起きそうな、何かが変わりそうな予感、したでしょ。世界が止まったままならば動かせばいい。日の落ちた世界ならば掬い上げればいい。決意表明のつもりも存在証明のつもりもないかもしれないけれど、放たれるメッセージのひとつひとつに意味や意思があって、それをファンク発なんでも経由J-POP着な予測不可能ミュージックの上で縦横無尽に歌うNEEのライブから感じるのは、やっぱり決意表明であり存在証明なんだよな。どうしようもない世界にくらりとしちゃうけれど、その中でどれだけ笑えるか。ロックが好きな僕らが、VIVA LA ROCKに集まった僕らが、ありえないくらい笑っちゃえば、つられて世界も一斉に笑い出すんじゃないかな。明日なんて見えなくたって夢は見れる。「最高の朝をありがとう」とくぅが叫んでいたけれど、ほらやっぱりNEEがVIVA LA ROCKで夜を明けてくれたじゃないか。ディンドンでハイホー。そんでもっておはよう。ロックバンドが鳴らす希望にいつだってワクワクしていたい。
「相も変わらず愛だの恋だのを歌いに来ました」という浜口飛雄也の言葉から始まったmoon dropのライブ。それは愛だの恋だの歌うことに対する後ろめたさや照れなんかじゃなく、moon dropのアイデンティティである「ラブソング」を自身の最大の武器として高らかに宣言する力強いメッセージだ。VIVA LA ROCKのラインナップに対して興奮気味に「好きなバンドばかり」「昔、コピーバンドをしていたバンドと一緒のステージに立てて嬉しい」と語りながらもその表情からは「愛と敬意を持って全員倒してやる」という気持ちも感じられる。その為には必殺技を最後に隠し持っておく、なんて悠長なことは言ってられない。最初からフルスロットルでラブソングを連呼することがVIVA LA ROCKの猛者と対等に戦う為のmoon dropの戦い方だ。“水色とセーラー服”も“シンデレラ”も思い出すのはいつかの君で、過ぎ去った日々やもう会うことのない人の顔が浮かぶから厄介。だけど“リタ”では二人で過ごす何気ない毎日が幸せな未来に繋がることを歌ってくれるから、自然と大切な人の顔が浮かぶ。それは恋人だったり家族だったり子供だったりペットだったり、人によって違うんだろうけど、愛だの恋だのがパワーをくれるのは確かだ。でも、愛が綺麗なことだけじゃないのもいい大人だから知っている。嫉妬も未練もmoon dropの歌うリアルな感情だ。「あの子にも観て欲しかったな」と浜口飛雄也が言っていたけど、そんな「あの子」のことをVIVA LA ROCKのステージから<君の唄を歌ってるんだよ>と歌うその姿は決してバカみたいでも夢みたいでもない。あの子が今、誰の隣で聴いていようとも。
2015年のVIVA LA ROCK以来、実に7年振りの出演となったHelsinki Lambda Club。UKインディーロックと同時進行で共鳴しながら、その飽くなき音楽欲求をバンドに落とし込むことで音楽ファンを魅了し続ける、彼らのその音楽愛がCAVE STAGEに鳴り響く多幸感といったらもう。その曲名からピンときちゃった人にはたまらない“ミツビシ・マキアート”でライブがスタート。Vampire Weekendならぬ、好きな人にHelsinki Lambda Clubのライブに誘われてきた人が今日VIVA LA ROCKにいたら素敵だな。音楽って、ライブって、フェスって、そういうロマンティックな出来事が知らないところで起きているかもしれないからドキドキする。しかし僕たちの生きる世界に音楽があって良かった。いやその音楽すら、当たり前の毎日がその姿を変えたときに奪われてしまった時期もあった。そんなとき、何を信じるかって自分が信じたいもの、つまり音楽だ。この数年で音楽がどんな扱いを受けた? 息が詰まりそうなニューノーマルとかいう、ありもしない普通やありもしない標準に音楽まで付き合せないでよ。雨が降ったって平気な僕たちは傘なんか差さないでブンッって裏にひっくり返して笑っていたい。ロックンロールプランクスターでハイディハイディホーだ。言葉の意味なんて気にしないで。ちょっとタンマ、言葉の意味なんて気にしないで。なんせ今日はVIVA LA ROCKだ。
今年のVIVA LA ROCKの大抜擢枠なんて言うと失礼かもしれないけれど、多くのオーディエンスがきっとねぐせ。を初めて観たんじゃないだろうか。そして多くのオーディエンスが何故ねぐせ。がVIVA LA ROCKのステージに立っているかを思い知ったのでは。結成僅か1年9か月、名古屋を拠点とするねぐせ。が今ここに立っているのは、決して彼らの運が良かったわけでも、ましてや奇跡なんかでもなく、ねぐせ。というバンドがロックバンドとして自らの苦悩も苦渋も嫉妬も葛藤も失敗も包み隠さず表現する、その姿に多くの人が共鳴したからだと思う。バンドの成長のスピードに彼ら自身が戸惑っているように思える時期もあったが、VIVA LA ROCKのステージに立っている4人の表情には、もはや一点の曇りもなかった。時間なんて関係ない。どれだけやったかより何をやってきたか。経験することが体験になって血となって肉となってねぐせ。となる。何気ない日常を特別な感情で綴るりょたちの歌が彩るのは、普通の星の下に生きる特別な僕たちの日々だ。二人で過ごす毎日をねぐせ。は遊園地みたいだという。ハッピーな世界を作り出す魔法だという。悲しいことが多すぎる世界で、その悲しさをなかったことにすることはできない。だけど僕たちは幸せになることを放棄してはいけない。ねぐせ。がVIVA LA ROCKで彩ってくれたのはそんな僕たちの、何処にでもあるけれど特別な毎日だ。苦悩も苦渋も嫉妬も葛藤も失敗も、全部スーパー愛して、スーパー抱きしめて、幸せになろう。観たかVIVA LA ROCK、これがねぐせ。だ。
WORLD STAGE、PEACE STAGEから続く道を潜り抜けるとそこに在るのはまさに「洞窟」、つまりCAVE STAGEだ。その洞窟に鳴り響く轟音。その地鳴りのような音の主こそw.o.d.だ。The BeatlesのカヴァーであるVanilla Fudgeの“Ticket to Ride”が涙の乗車券ならぬ爆音乗車券だ。そこで鳴る全ての音に理屈じゃなく身体が疼く。メンバーそれぞれが放つ音がフロアを伝わり身体を突き抜け本能の奥の奥のずっと奥の方を揺さぶる。響き渡るその音はまさに狂気を孕んだ革命の合図だ。“Fullface”で<ただ 黙らせたいの>と歌っていたけれど、歪んだ振動を前に問答無用に言葉を失う。人生においてNirvanaを体験できなかったことをずっと悔いていたけれど、それももう帳消しだ。w.o.d.がいるわ。言葉としての、ジャンルとしての、オルタナやグランジではない衝動としてのオルタナでありグランジである“Mayday”のピュアさも凄い。いや、ピュアと言っても純粋無垢なソレとは違って純粋にグランジなのだ。このニュアンス、伝わるかな。まあでも意味なんてどうでもいい。何も考えなくてもこの轟音が、w.o.d.が世紀末より世紀末な澱んだ闇の向こうに連れて行ってくれる。アン・ドゥ・トロワが狂気の革命の合図だ。誰かが決めたステップなんて関係ない。泳げなくたって踊れるアヒルでいたい。
リーガルリリーがステージに現れチャイムのようなギターが鳴り響くと、CAVE STAGEに光が広がっていくのが分かった。まるでリーガルリリー自身が発光体かのようにVIVA LA ROCKを照らしたのだ。“セイントアンガー”では<みんな光りかた探していた>とたかはしほのかが歌っていたけれど、リーガルリリーのライブを観ていると今度はCAVE STAGEに集まっている観客が、ひとり、またひとりと光を放ち始めているように感じる。これは何もスピリチュアルなことが言いたい訳じゃなくて、じゃあ僕たちが本来光っていたのが何時何処だったかと言ったら、ライブを観ているときにその光を一番発していた気がするのだ。ライブハウスで、フェスで、自分自身を解き放つことで僕たちは光を発することができる。それを思い出させてくれたのが僕にとっては今日のリーガルリリーだった。たたかわないことで、願うことで、生まれることで、落ち込むことで、笑うことで、知らないことを知ることで、逃げ出すことで、歌うこと、響くこと、泣くことで、光は光として煌々と輝くことができる。たかはしほのかが「音楽は色んなことができる」と話していたように、音楽は人を生かし、人を光らせる。VIVA LA ROCKでリーガルリリーが証明したこの光を絶やさないように灯し続けたい。
CAVE STAGEのトリを務めたのはTETORA。さいたまスーパーアリーナを「ライブハウスに一番近いステージ」と言い切った上野羽有音の言葉には何ひとつ嘘はなく、TETORAがステージに立てば、規模に関係なく彼女たちのホームである心斎橋BRONZEのステージに観えるから不思議だ。上野羽有音はライブが始まると同時に「爪痕を残したい」と叫んでいたけれど、ここまで無防備かつ剥き出しなライブをするもんだから爪痕どころかこっちは両腕傷だらけだっていうの。TETORAが叩きつけたのは、かっこつけないライブが一番かっこいいということ。VIVA LA ROCKに「もらった時間」と「もらったステージ」で全身全霊で音楽をすること。この考え方は普段ライブハウスでTETORAがどんな活動をしてきたかがよく分かる。傍から見れば不器用かもしれない。いや、断言できるな。TETORAは不器用だ。それでもただ目の前にいる人の為だけに全力で演奏して、余力なんて残さずに信念を貫き通す。そこに忖度なんて一切ない。そして忖度はないけれど感謝はしっかり持って全力で応える。そこもTETORAのかっこいいところだ。ライブハウスを、BRONZEをさいたまスーパーアリーナまで機材車に詰め込んで持ち込んだTETORA。3人が何の為にバンドをやっていて、何の為にライブをしているのかを自らも再確認しながら、しっかりいつも通りロックバンドする姿はひたすら頼もしかった。
そんなこと誰も思っていないと思うけれど、ライブに、ステージに、フェスに、VIVA LA ROCKに、メインステージもサブステージもない。CAVE STAGEにはCAVE STAGEの意味があって、そこでしか起き得ないことがあって、ここで起きたこと、ここで観たことが全て。CAVE STAGEで起きた全てに拍手と敬意と感謝を。そして両手放しの万歳を。
テキスト=柴山順次
撮影=TAKAHIRO TAKINAMI

