
総括レポート
今年も「あなた」の音楽愛が、
この楽園を形作る!
無限の音楽広場、最高のキックオフ!
超快晴! これ以上ない天候に恵まれてスタートした2024年のVIVA LA GARDEN。本フェス唯一の屋外ステージにして入場無料エリアに位置するVIVA LA GARDENは、VIVA LA ROCKのチケットを持っていない方でも音楽とグルメと様々な「遊び」に出会い続けられる自由な広場だ。逆に言えば、多種多様な人が往来して混ざり合う場所だからこそ、それぞれの良識や思いやりによって成立しているのがVIVA LA GARDENであり、この場所こそが、ルールよりも人間を信頼するフェスとしての精神性を端的に表していると言ってもいい。ゆるキャラショー、ティラノサウルスレースなど、子供が参加しやすい催しを多く実施しているのも、ビバラが楽しかったという記憶によってVIVA LA ROCKを未来に繋いでいこうとする意志だろう。何しろ、フェスが人を受け入れるのではなく、人の想いが重なることで形を成すのがフェスであるという気持ちが、ビバラの心臓なのだ。コロナ禍によって4年の開催自粛を余儀なくされたが2023年に復活。そして今年はさらに全開の、誰しもが食って歌って踊れる音楽宴となってGARDEN STAGEが爆走し続けた。
トップバッターとして登場したのは、ビバラ初出演となるカメレオン・ライム・ウーピーパイ。爆音のエアホーンを号砲にしてライヴをスタートすると、ヘヴィボトムなミクスチャーロックに快活なハウス、テクノを織り交ぜ、Chi-が「踊れますかー!」と焚きつけてから<Say Yeah>のコール&レスポンスを執拗なほどに繰り返してアゲまくり、ダンスの波を作ったかと思ったら今度は歌もトラックもクールな表情に一変するという、まぁ自由自在かつ奇想天外な楽曲の数々が連打されていく。そして愛嬌と恍惚をクルクルと行き来する奇怪さがむしろポップネスになって、あれよあれよという間にGARDEN STAGEは自由なダンス空間に変貌していった。手を叩くもよし、体を上下させるだけもよし、ワケのわからないステップを踏むもよし。さあ一人ひとりの自由を謳歌してください!というふうに開かれているVIVA LA GARDEN自体を音楽化したような、音楽百面相の痛快なアクトだ。
ヒップホップをベースにした曲にしろハウスを背骨にした曲にしろ、腹にクる低音とビートの数々は実は超ドープで毒っ気まみれだが、その上に乗るのは徹底的にFunなコール&レスポンス。その両面性……というか、一種の気持ち悪さがむしろクセになって、ミクスチャー・ラジオ体操とでも言いたくなるような、ピースなのに得体の知れない音楽広場ができていく。パーフェクトでジーニアスではない人間だからこそ孤独や不足を超えるために踊ったり歌ったりするのだ、踊って笑うことこそが、放っといたら殻にこもっていくばかりの自分を破壊する方法なのだ——というカメレオン・ライム・ウーピーパイの核たる精神性を伝える“Dear Idiot”は緩やかなフロウが印象的だが、カメレオン・ライム・ウーピーパイの素敵さは、騒ぐための音を置いていくのではなく、踊ることでむしろ自分の内側に潜っていくような感覚を生んでいく点にあると言っていいだろう。執拗なほどリフレインされるフックは次第にサイケデリックな様相を呈していくし、誰よりもChie自身が音楽遊泳の旅に出ていくようだし、あー、腹の底が躍り出す。御託を抜きにしてとにかく踊るための1日、最高の幕開けだった。
午前から強い光が差していたGARDEN STAGEだったが、15時を過ぎた頃からようやく涼しい風が吹き始めた。人工芝に寝そべったり座り込んだり、心地よい気温になるに伴って、リラクシングなスタイルで過ごす観客が増加する。そんな時間帯にドンズバと言ってもいいのが、First Love is Never Returnedだ。観客にハンドクラップを促しながら緩やかなグルーヴを風に融かしていった“バックミラー”、ソウルの色気とメロディの爽快感が同時に響いてくる“シューズは脱がないで”。そしてアッパーなビートで聴く人の体を揺らしまくる“Unlucky!!”までの冒頭3曲で、歌とリズムの瞬発力の高さをビシッと見せつける。
艶やかさ、爽快さ、しとやかさ――曲ごとに変幻自在に魅せていくIshidaの歌声がFLiNR最大の武器であることは間違いないが、その声を押し出すというよりも「彩る」ことに重心を置いているアレンジとアンサンブルこそがこのバンドの何よりの美点だろう。フロント3人のコーラスの重なりがひたすら美しく、その声と声と声の色彩こそが、“Mama”のような疾走8ビートを「王道のギターロック」で終わらせず、色彩豊かなポップスとしての射程距離を生んでいるのだ。自身でも「歌とメロディを大切にしているバンドです」と自己紹介していたが、どの曲でも、どのメロディでも、一瞬で人を惹きつける歌をさらに飛ばすメロディ長打力がハンパじゃない。「フライデイ・ナイトしませんかー!」と焚きつけてガシガシ踊らせた“OKACHIMACHI FRIDAY NIGHT”も、自由なステップとピースなハンドクラップを生んだ“People 365”も、「いい歌」に留まらない巨大なスケール感の証明には十分。ビバラ初登場にして、ネクストビッグシングたる予感と衝撃を与えるライヴだった。
「ひとり残らずパーティーの向こう側に連れていってやるぜ!」という強烈な口上とともに登壇したのはBRADIO。彼らのライヴ前の会場BGMで“ジャンボリミッキー!”が流れた際には子供達がこぞって踊りまくっていたが、オープニングナンバー“Flyers”の<Everybody put your hands up>にもキッズ達は即反応、大人ももちろんステップ不可避の強烈なグルーヴで、“ジャンボリミッキー!”で見せた瞬発力抜群のダンスをそのままBRADIOで再現するかのようなダンスダンスレヴォリューション状態に突入した。つまり、BRADIOが携えている歌力とリズムのキレとハートにクるグルーヴは人も年齢も選ばない威力を持っていて、身ひとつで感情の全部を表してしまうという意味でファンクやソウルのポップネスを超端的に表すものなのだ。
続いて披露された“69 Party”ではさらにアッパーに攻め、ヴォーカル・真行寺貴秋の「ウッ!」「ハッ!」という発声自体が強烈なビートとして耳に飛び込んでくる。あー、気持ちいい。初っ端2曲によってGARDEN STAGE全体をハンズアップのビッグウェーヴで飲み込み、BRADIOワールドの完成である。
“LA・LA・LA LOVE SONG”と“ガッツだぜ!!”と“September”を一気食いしてユーモア一発で融合させたかのような楽曲達には、熟練のグルーヴと同時に少年のような思春期性も滲んでいるから面白い。会得してきた円熟の技をFunと快感だけに注ぎ込む一直線なマインドが、BRADIOの音楽を瑞々しく青春性溢れるものにしているのだろう。そのアフロよりもさらにデカい歌声は曲ごとにデカくなり、そのアフロよりも満開の笑顔はシンガロングの中でこそ弾けて、こんなにも踊れて歌えて飛べるオレ達なら何でもできるんだと、問答無用の勇気を一人ひとりの細胞に叩き込んでいくようなライヴだ。そして、問答無用で人をFunで巻き込むBRADIOスタイルと、人にも場所にも線を引かないガーデンは、本質的に同じ精神性で通じている。
「みなさまを骨の髄までアフロにしていきますんで!」――真行寺はライヴ中にそう叫んでいたが、何よりアフロ自体が発光していて、もはや人間ミラーボールのようだった。本気でそう見えた。
GARDEN STAGEの初日を締めくくるDJとして、片平実(Getting Better)が登場。星野源の“SUN”、go!go!vanillasの“SHAKE”、藤井風の“きらり”といったソウル/R&Bの名曲をプレイし、踊ることによって心を解放させ続けた1日のストーリーを汲んだセットを予感させる。つどステージの際まで降りてきては「楽しんで行きましょう! 乾杯しましょう!」と語りかける片平は、楽しさと嬉しさを共有したくてたまらないといった様子。そのアクションが「乾杯」なのだろうし、乾杯を交わした観客、特に子供達をどんどんステージに上げて、THE 1975の“Happiness”、[Alexandros]の“あまりにも素敵な夜だから”をさらなるハッピー増強装置として鳴らす。
中盤にKroiの“Hyper”を挿して以降は、スピーディーでアグレッシヴな楽曲をセレクト。Panorama Panama Townの“Bad Night”ではヴォーカルの岩渕想太がゲスト出演、さらにTOROの梅田シュウヤ、Jam Fuzz Kidの今村力、GialloのNikaidohも立て続けにステージに登場し、終盤は90年代以降のロックアンセムを連続投下。片平は「ひとりじゃ寂しいからさ、みんながいてくれてよかったよ」という言葉を残してステージを降りた。
心の動きのままに踊ること。日頃は表しにくい感情でも、音楽の中では人と繋がるための言語として表現できるということ。そして、ひとりじゃ寂しいのなら音楽を通じて感情を共有していけばいいということ。そんな、ロックやフェスの最もプリミティヴな部分が徹底的に表現されている1日だった。何より、この場所にいる一人ひとりが、そりゃあもう、とんでもなくいい顔だった。そのこと自体が、ビバラをもっともっと輝かせていく。ビバラはまだ始まったばかりだが、最高のフィナーレを確信するに足る瞬間の連続だった。
テキスト=矢島大地
撮影=木村篤史